第1章 アイドルの幸せを求めて


1985年。
ゴールデンタイムのTVには、常にアイドルが映っていた頃。
大手芸能プロダクションに勤めていた、若手プロデューサー3名が、同時に会社に辞表を提出した。
まだ駆け出しの社会人が、何故そんな無茶な事をしたのか。しかし実績のない社員の退職理由を詳しく調べる事もなく、会社はそのまま手続きを進め、退職となった。


退社日。机を片付け、挨拶廻りもせずにとっとと会社をでた3人は、昼から酒臭い息を吐いて盛り上がる。


「アイドルは、人間だ!」
高木は、すでに3杯目のジョッキを一気に煽って、机に叩きつける。
「そりゃ、会社にとっては、金を稼ぐ手段かもしれない。しかし、アイドル本人が望まない、輝かないプロデュースなんか、してやるもんか!」


「ま、先輩がそんな理想主義者ってのは、前から知ってましたがね。」
茶々を入れた男が、ニヤッと口元を曲げて笑う。しかしそれは、どことなく憎めない表情だった。
「天海、その表情は止めとけ、その年齢だからまだ良いが、歳とってからそれやると、色々と騒動を起こしかねないぞ」
「げ、それはいやだなぁ、気をつけますよ」


「それで、僕はなぜ先輩に巻き込まれる羽目になったんでしょうか?」
こっちの男は、どことなく自信なさげな口調が特徴だろうか。
「高槻、俺はお前に無理強いはしてないぞ、もし良ければ一緒に来ないかと話をしただけのはずだが」
「だって僕、先輩の下で仕事教えてもらったじゃないですか。まだ半分もプロデュース業教えてもらってないですよ」
「馬鹿、こんな仕事、決まった業務内容なんてあるもんか。まして会社と喧嘩するような奴だぞ俺は」
「うーん、まぁ、あのまま会社にのこっても、高木派として見られたらアウトでしたし。ああなんでこんな目に僕が」
「なんて言いながら手を合わせて不幸ぶってみたりする辺り、まだ余裕あるだろ、お前。」
「えへへ、分りますか」
「ともかくだ。この前話したとおり行動するぞ。新しいプロダクションの立ち上げだ。社長は俺、天海と高槻はしばらく安月給でコキ使うからそのつもりでな。」
「サーイェッサー!そして俺と高槻は、新人アイドルのスカウトに精を出せばいいんですね?」
「街で声掛けなんて、久し振りすぎますよ。僕が見つける子って、皆アイドルなんか怖くて出来ないっていうんだよなぁ。」
「とにかく、プロダクションなんだから、アイドルが居ないことには売り上げも何もあったもんじゃない。俺も立ち上げが終わり次第募集に廻るさ。ただし、」
「分かってますよ、社長。俺たちは売上の為にアイドルを育てるんじゃなくて、アイドルの幸せを考えてプロデュースする、でしょ?」
「僕が見つけた子をプロデュース出来ることになったら、その約束は絶対に守りますとも」
「そうだ。俺たちは、売れるアイドルを育てるんじゃない、如何なる時も、アイドルの幸せを優先するプロダクションを立ち上げるんだ。二度と、あんな虚像を作らない為に。」
見つめる先には、居酒屋の小さいTVで、踊るアイドルユニットが居た。


・・・


高木が発掘し、TVに出ることが出来たアイドル達。
売れる事が幸せにつながると素直に信じて、高木は若手ながらもランクSと呼ばれるだけのファンが付くアイドルを、数名育て上げていた。
しかし、売れるにつれて、アイドルはどこか最初の輝きを失うことに気が付く。
アイドルが仕事に慣れたこと、育ったことによるものだと、無理やり思い込んでいた高木に、あの娘は―――


TVの中に居たアイドルユニットの中の一人が、視界にオーバーラップする。
「プロデューサー、私をスカウトした時のこと、覚えていますか?」
「ああ、覚えている。もちろんだ。」
「私に、他の人では味わえない幸せを体験させてくれるって、言いましたよね?」
「う、うん、そうだな、そんな事を言った記憶がある。」
「…忘れてたんですね」
「いや、忘れてたというか、まぁそのなんだ、うん、どうした?何かあったか?」
「んー。さっきまで、本当に忘れてたならひっぱたいてやろうと思ってたんですけど、やる気が失せました。」
「お、おい、物騒だな。」
「他のプロデューサーよりはマシだと思ってたんだけどなぁ。あーあ、私って本当に見る目が無い。」
「どうしたんだよ、TOPアイドルらしくもない。」


彼女は真剣な顔で、高木を見つめた後に、衝撃的な一言を投げつけた。


「私を、この世界に呼んだ事。それはそれで感謝するべきなのでしょうけれども。やっぱりスカウトする人を間違えましたよ。」
「え…?」
「だって、私、ここでは幸せになれませんから。」


いつもの高木の調子であれば、「ああ、何か疲れているのかな」と受けがなしたはずの言葉。いや、高木だけではない、世の中の99%の男なら、きっとそこからは一時的な疲れの感情しか受け取らないはずだった。
しかし高木は、初めてスカウトに成功した彼女の顔だけは、忘れようにも忘れるわけが無かった。


”あの時俺は、彼女が将来こんな表情をするような娘になると、思っただろうか?”


「…詳しく、話を聞かせて貰えないだろうか?」
「ざーんねん!最初の試験で、プロデューサーは落第でーす!」


そして彼女は、完璧な外向けの顔を被り、その後の会話をさえぎってしまった。


・・・


「先輩、何ぼんやりTV見てるんですか?」
「馬鹿、高槻、そろそろ社長って呼べよ、給与に響くぜ」
「おい、そんな俺が狭い心しかないと思ってんのか。いい加減からかってくる奴から給料弄るぞ、天海。二人は今まで通りでいいからな。社長なんて呼ばれても相手にしないぞ。」
「で、先輩、何あの娘をずっと見てたんです?そういや初プロデュースで大当たりした娘でしたっけ。」
「ん。いや、今回のきっかけを、思い出しただけだ。」
「勿体ないよなぁ、まだ20歳にならないで、明日引退コンサートだぜ。ユニットで売り出してたから何とかなりそうだけど、今一番人気のある娘が抜けるんだもんなぁ。」
「勿体ない、という感情は、俺たちから見た気持ちさ。」
高木は少し俯いた後、ビールを飲み干した。
「彼女は、普通の娘に戻って、自分の思う幸せを作るんだそうだ。」
「そりゃまたハードル高いっすね。悪徳記者の良いネタですよそりゃ」
「僕は彼女らしいと思うなぁ。芯が強い娘に見えるし、きっと思うとおりになるんじゃないですかね?」
「そうだな…そうなるといいんだが。」


アイドルになって、売れること。
それが、単純に、そのアイドルにとって幸せな事になるわけではない。


それを、”俺を傷付けずに”悟らせた彼女。


(きっと、お前は、幸せになれるだろ。次は、悟らされた俺が、実現できるか分からない、夢を追いかける番だよな。)