作り手と見る側の考え方の違い?


ここ数日の、わかむらPさんの一件

wakamura plex
http://wakamura.livedoor.biz/archives/1084492.html
http://wakamura.livedoor.biz/archives/1087147.html

にて、見る側と作り手の違いを意識せざるを得なくなりました。


見る側の方にとっては、この件に関しては否定派が多いようですね。
そして、私も恐らく3か月前までであれば、ここでエントリを書いて、わかむらPさんへ自重を求めるエントリを書いていたように思います。


今はどうかと言うと、正直板挟みです(苦笑)
何故かといえば、「作り手が動画を作る原動力」みたいなものを、私も感じてしまったから。
もちろん、長期に渡って手間暇技術を掛けまくって来たPさん達の感情を、すぐに理解したなどと言うつもりはないのですが…。


「作りたいように作る」事をモチベーションとし、とてつもないリソース(時間や費用)をつぎ込むPの作品は、ニコマス以前のMAD作品同様に、「消極的なルールより、まずは作ってみた。どうよ?」という、パワフルな部分が何かしら生まれます。
逆に、ここ最近のニコマス作品には、「暗黙の了解を守れば、ずっとこの楽しい世界が維持できるのかもしれない」という、期待と不安が入り混じった空気が存在しているのも事実。
それがぶつかった時、今回のような議論や意見の表明が繰り返される状況が生まれるのは、当然なのでしょう。
見る側としての私と、作り手としての私が、ここでぶつかってしまいます^-^;
結論どころか、意見の表明すら出来ない私ってのも、しょっぺぇなぁ…というのが、正直な所でしょうか(苦笑)


ただ1点だけ。
この件に関する意見や議論を見る時、「正義をやってる俺カコイイ」的な雰囲気が漂っていたら…それは見る/聞くに値しない意見だと思います。
その意見が書かれている場所、媒体、文体、背景。色々なものを見て、それを判断してみれば、ニコマス界隈の心配したがりな空気と、まだまだ熱い創作意欲の2つを、感じる事が出来ると思います。
願わくば、それがまた、新しい作品を生み出す螺旋となる事を祈って。